おととしに、わたしのおばあちゃんが亡くなりました。(のっけから重い。笑)
頻繁な付き合いはなかったんです。
おばあちゃんの家が 結構遠くて子供の頃はお正月に家族で行くくらいでした。
わたしが持っている おばあちゃんのイメージは優しい・趣味が豊富・ビール好き(笑)。
大人になって わたしの友人、知人におばあちゃんを会わせると 大概「可愛い おばあちゃんやなぁ」と言ってもらってました。わたしもそう思います(´∀`)
おばあちゃんの顔は生き生きとしてて、とっても優しい顔立ちでした。そして、自由な感じもしました(´∀`)
おじいちゃんが寝たきりになって、「おぉ〜い。おぉ〜〜い」と何回もおばあちゃんを呼んでる時、おばあちゃんは「はぁぁあーーい〜」と言いながらも自分のタイミングでおじいちゃんの側に行ってました。要は、おばあちゃんが自分の用事をしてて手が離せない場合は返事だけで繋いで、自分の事を終わらせてから おじいちゃんの要求を聞いていたんです。これを目の前で見てて、わたしは『いいなぁ〜おばあちゃんって(´∀`)』って思ったんです。
おばあちゃんには罪悪感がないように感じました。だいたいが自分のペースなんです。
おばあちゃんみたいな人を見て、冷たいと言う人がいるかもしれません。自由すぎると言う人がいるかもしれません。寝たきりのおじいちゃんが呼んでるねんから、先におじいちゃんの所に行くべきと言う人がいるかもしれません。
でも、そう思う人は自分が罪悪感を感じたくないから、そう言うんやろなと思います(´・∀・`)
そうしないと、自分が冷たい人間やと思われる。そうしないと、自由すぎると思われる。そうしないと、寝たきりのおじいちゃんを放ったらかしにしてると思われる。
だから、他人にも【そうした方が良い】と押し付けてるんでしょうね(´∀`)わたし、そんな感じでした。でもコレ、自分がしんどい上に周りの人もしんどくなるんですよね(´× ×`)
おばあちゃんが、自分以外の人に「こうするべき」という言い方をしているのを聞いた事がないと思います。アドバイス的なものは言いますよ。「こうやから、こうした方が良くないか?」とか。でも、それを「いや、こうしたいから」と却下されても「そうか。」と受け入れて終わり。というのが多かったと思います。(もちろん全てではないと思います。)自分が自由やから、人の自由も認められる。わたしは、こっち側の人になっていきたいな〜と思っています。難しい時もあるけど、そういうのが良いなと思っています(´・∀・`)
たくさんの年長者を見てて思います。若い人の意見が聞けて新しい事にも目を向けられる人は、発想が豊かな人が多いなぁ〜ええ顔してる人が多いなぁ〜と思っています。「こうするのが普通や(それはあんたの中の普通や。)」「今までこうやったんやから(知らんがな。)」と自分の価値観を押し付けてくる人は自分に対しても抑制していると思うので、視野が狭くて進歩がないなぁ〜と思っています。極端に分けて、この2パターンの年長者を見かけます。自分はこう思う。あなたはこうなのね。それで良いと思うんですよね。そこで色んな考え方や価値観が増えていけば、色んな方向から見られるようになるし、すごくいい事やな〜と思っています(´・∀・`)
前者がおばあちゃんやと、わたしは思っています。後者のタイプとは、本当に関わりたくないです(笑)
歳を重ねれば重ねる程、内面が顔に現れるなぁ〜と思っています。
にこにこのシワシワな可愛いおばあちゃんに、わたしもなりたいな〜〜っ♩(´∀`)
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