昔から一向になくならない『いじめ』。
どっからが『いじめ』で、どこまでなら『いじめ』じゃないんやろね。
世の中には、想像もつかないほどの酷い嫌がらせもあるんやろなぁ。
ドラマやニュースで見たくらいのことしか、わからんけど。
そこで、その責任は学校の先生の責任になるのかい?それでいいのかい?
娘が小学校高学年のときにね、クラスに嫌な女子ばっかでね。(あ、娘にとってね)
毎日、学校に行って帰ってきては
「今日はこんな嫌なことがあったわ…」って話を聞く時期がありました。
毎日やで、毎日。
娘は、そいつらのことがめっちゃ嫌やったやろけど、そいつらをボロカスに言うとかじゃなかったんよね。
毎日、自分はこう思ったし、こういうことが嫌やったということを、わたしに話してきよったんよ。
で、自分は気をつけようって言ってた。
わたしは正直、教室に乗り込んで『シメたろか』と思うほどに腹立ったけどね!
娘に「ママが言うたろか?先生に話した方がいいか?」って聞いたんやけど、
娘は『まだ大丈夫。自分でなんとかできる。』って言いよったから
結局わたしは何もしてません。
娘の話をただ聞いてただけです。
娘は学校から帰ってきたら、まず宿題と次の学校の用意をして。
ほんで、近所の子(年上や年下の子)たちと遊ぶことが多かったね。
家では、そうやって機嫌よく友達と遊んでるんです。
アホみたいにゲラゲラ笑って、キャッキャやってんの。
でもね、学校ではほとんど笑わんくらいやったみたい。
まさかの『大人しいイメージ』までつくほどに、「自分」を出せないでいたみたいです。
まだ自分の考えにも自信がなくて、『それ、おかしいやろ!?』と思うことでも相手に言えないでいたみたいでね。
このまえ娘とたまたまそんな話になって。
そしたら娘が、
「あの頃はほんまおもんなかったし嫌なことしかなかったわー。いやぁー辛かったなぁー。ははははは〜」って笑いながら言ってました。
なんか、娘、
すてき。
でね、娘が小学生の頃。
内容は割愛するけど。
(書かんのかい)
まず、わたしは娘から、そんな嫌な話を話せてもらえる親で良かったと思ったんよ。
それが1番安心する。
わたしも子どもの頃、そら学校で嫌なことの1つや2つあったよ。
その中で、めっちゃ悩んだこともあったと思う。(忘れたけど)
でもね、わたしは親に話せなかった。
なんか、逆に責められる気がして。
それは子どもの頃のわたしの勝手な思い込みやったんかもやけど。
けど、『責められるかも』という親子関係しか築けてなかったんやと思う。
『責められる』っていうのは、例えば、
「なんで嫌なら言い返さへんの!」とか。
嫌な感情を抱いてる自分が悪いような気になったりね。
相手の子に何か言われるのも嫌やなって思ってた。
だって、その後ギクシャクするやん?
そんな悩みを抱えている自分が恥ずかしくもあり、言わなくなったなぁ。
わたしの母親は何かあれば「学校に行って先生に言うたろ!」って、学校に対してキツく言うタイプやったんやけど、
今思えば、それって母親が自分の感情をぶつけたい為にしてただけで(本人は子どもの為と思い込んでるやろう)、
そんなことしたところで、特になんにも大事なことは得てないなと、今のわたしは思います。
だいたい、親は他者に言って気が済むかもしらんけど、その後も関わらないといけないのは子ども本人なんよね。
気まずいわ!!笑
おまけに、それが変な方向に作用して、
子どもが『何かあれば親がどうにかしてくれる。親が動いてくれる。』なんて思うような子になったら…
わたしなら、嫌!!
親が感情的になって、そのまま勝手に動くって、はっきり言うと、
『何もしない自分』
『何もできない自分』が嫌なだけ。そう思う。
「何もしない」って、
勇気や覚悟が要ることもあるよね。
わたしが親という立場になって思うこと。
子どもが嫌な目にあったと知れば、やっぱりめちゃくちゃムカつくよね!
だからって、親がシャシャッて学校の先生や、自分の子どもに嫌な思いをさせた子に文句を言うだけの親じゃいけないと思ってます。
「自分の子どもに嫌な思いをさせた」と捉えてる時点で、わたし的にはあかんなって思うんやけど。
「嫌な思いをした」のは『自分の子どもがそう感じた』だけであって、
別に誰のせいとかにしても意味ないと思うんよ。
我が子がそう感じた。
じゃあどうしたら1番いいかなって、いつも考えます。
目的が「相手の子にも嫌な思いをさせる」なら、相手や相手の親、先生なんかにボロカスに言えばいいかもね。
自分の負の感情を誰かにぶつけることで気が済むからそれでいいというなら、周りを責めて生きていけばいいかもね。
けどさ、それでは子どもも自分(親)も成長はないよねって思います。
わたしは、そういう人間を目指してません。
わたしは、自分の子どもに自分でしっかり生きて欲しいし、
自分の不幸を誰かのせいにしたり環境のせいにして落ち込むだけという選択をして生きて欲しくないと思ってるんよね。
自分に起きた幸せなことも不幸なことも本人の捉え方次第でどうとでもなると思ってます。
『自分の問題』として扱うことで成長していけるし、解決もできると思うんよね。
学校で何か自分の子どもに不都合なことがある度に、親(祖父母含め)が学校の先生に偉そうに言うのはどうかと思いますよ。
感情にまかせて他者を責め立てるというのは簡単なことやと思います。
そういう気持ちもむちゃくちゃわかるけど、自分の不快感を先生や周りの人にぶつけて責めるだけってのは良くないと思う。
それは、子どものため・自分のために良くないってこと。
文句だけ言ってても、嫌な感情はなくならないし、むしろムカムカすると思う。
罪悪感まで感じて『なんで自分がこんな嫌な気分にならなあかんねん!』ってなるかも。
相手に『嫌なこと言わんといて。嫌なことせんといて。』って要求したとして、
そもそもその「嫌なこと」って人によって違うしね。
それって、相手のことに意識が向いてしまってるよね。
自分の感情を相手にどうにかしてもらおうなんて、思うようにはいかないことが多いし、
第一相手がどう在ろうと、究極だれにも関係ないことやと思うしね。
それってなんか違うよね。
自分の嫌な思いを自分でどうにかできないって。
すごく不幸でしょ。
そんな時こそ、どう考えたらいいかなとか。
周りがどうであれ、自分はこうしていけばいいかなとか。
そういう方向で考えていきたいんよね。
娘は嫌なときも嫌と言えなかったり。(ほんと弱々しかった)
自分の考えに自信がなくて、何も言えないくらいの子やったから、
小さい頃はめっちゃ心配しとったんやけどね。
そんなわたしの心配をよそに、今では
『自分』という軸を持った、優しくもブレない、たくましい子になってくれたなと思ってます。(親バカ・自慢)
本当に立派に育ってくれたなぁ〜と、日々感じてます。
今では相手の意見も聞いた上で、ある程度(言えない場面もあるやろうけど)
「それは違うと思う。」
「それは嫌。」
と、意思表示できてるようです。
よかった(笑)
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